非戦の想像力展

 20220805

あへ政権以降とくに、どうして己が身を食いつぶすような愚策をこれだけ連発するのか不思議でしかたなく、極端に頭が悪い人がたまたま集まってしまった故であると解釈してました。が、いまや彼らが宗教犯罪集団と一心同体なのだとわかって、謎の半分が解けたような気がします。謎の残り半分は、有権者がなぜこのような愚劣な政権を選び続けているのか。公共放送が国会中継さえしない国ですから、まあだいたいわかりますが。
ところでペロシさんは何をしたいのか、天災も人災ももうお腹いっぱいなんですけど…
米中戦争が起こったら、いまや米軍の出張所となり果て、アメリカの鉄砲玉を買って出ることを誓い、それを世界にアピールさえしてしまった日本がまっ先に攻撃されるのは目に見えています。。。

明日から「非戦の想像力展」。ぼくもちょっぴり出してます。


 


たぬきポスト設置完了

 20220802

以前納品した、たぬきポスト。
無事設置完了した勇姿が送られてきました。
新築のすてきなおうちで働くことになって、張り切ってるようです。
画像には写ってませんが、しっぽを持って取出し口を開けるようになってるんですよ。

開催中の二人展は、次の金曜日からが最終週になります。
まだいらしてない方、よかったらのぞきにきてください。



二人展はじまりました

 20220715

二人展、なんとかオープンに漕ぎ着けました。
じろうさんのねこやきのこやかえるやなんだかわからないものにぜひ会いにきてください。
ぼくもなにか出しています。
金土日月曜日11:00〜16:00
ギャラリー麓人舎
北杜市大泉町西井出8240-3016





 

カナリヤ

 20220711

民意は民意だ。
投票率世界139位でも、メディアが現政権の批判も検証もなーんもやらんかったとしても、小選挙区制という欠陥システムの末路だとしても、民意さまは民意さまだという理屈は無敵だ。
内田樹さんいわく「有権者は「現状維持」を選んだということで、「現状維持」というのは「このままどんどん沈んでゆく」ということなので、そういう運命を日本人は選んだようです」。
あのー、実際は、沈んでる自覚がないのだと思われる。自分が沈んでる、というよりも、まわりが上がってて取り残されている、ので、まわりさえ見なければ、現状維持できているようにみえてしまうことが可能なので、まあ最下層でもなければ奴隷労働に我慢してればそうそう餓死することもないし、ちょっと息苦しかったり厳しいこともあるけど世の中そんなもんでしょう、努力が必要なのよ、コロナや戦争があったりでしようがないのよ、とか言われて、そんなもんかー、子育てだって大変なのわかってて産んだんだから文句言っちゃあいけないよね、って、そういう人が大多数なのでしょう。
ともかく、「政策の中身を比べて選ぶ」「残した結果で評価する」という合理性が毎回の投票行動にどの程度寄与し得ているのかは謎です。きちんと科学的な社会調査をしたら、合理性の寄与は限りなくゼロに近い、という結果が出る気がして、おそろしゅうございます。合理的判断の結果がいま、だとしたらもっとおそろしいのかどうか、よくわかりませんが。
いずれにしろ、そんなご民意さまの巻き添え食らって身ぐるみ剥がされるこちらはたまったものではありません。野良アーティストなんてものは炭鉱のカナリヤみたいなもので、社会が腐ったら真っ先に潰れる(経済的にも精神的にも)ようにできてるので。
そろそろ方針転換が必要なのでしょうか。
いまや、先の焼け野原の教訓の賞味期限は驚くべきことにたったの70余年であるとわかったわけなので、二度目の焼け野原を招致しないためにどうするか、ではなく、来たるべき次の焼け野原をいかに早く小さく終わらせるかを考えなければいけなくなったような気がします。
籠から逃げられないとわかってしまったカナリアは、せいぜい丈夫なカナリアになるべく、ごはんをもりもりいただくことくらいしかできることがありませぬ。

画像は「炭鉱のカナリヤ」 2022年 キャンバスに油彩 



安倍晋三

 20220708

安倍晋三の断罪は法廷でなされるべきでありました。
こんなかたちで強制終了させてしまうことは許されぬ。
赤木さんの訴訟を認諾によって強制終了した「国」に劣らぬ卑劣さです。
 
画像は「夢季」2022年 キャンバスに油彩
 
<7月9日追記>
安倍晋三の冥福を祈ります。
同時に、彼によって死に追いやられた善良な人たちの冥福も、あらためてお祈りします。
文書改竄強制によって殺された赤木さん。安倍政権が招いた貧困や、アベノマスクに象徴されるコロナ無策のために自殺に追い込まれたり餓死したり病死したりされた、たくさんの市井の人たち。いま天国でどう思っているのでしょうか。
そして、今回の暴行を「民主主義の破壊だ」と糾弾する大手メディアが、安倍晋三による民主主義破壊に対しては沈黙していたことをぼくは忘れていません。
そしてそして、現政権の評価と検証を、選挙前の「公正中立」の名のもとにかたくなに避け、ただただ言い分の垂れ流しに終始してきた公共放送が、ここぞとばかりに安倍晋三の神格化を始めたことも、ぼくは一生忘れないつもりです。
 
<7月10日追記>
動機は政治思想的なものでなくて統一教会に関連した個人的恨みのようです。
ですので先の投稿は少しニュアンスが違ってくるところもありそうですが、まあぼくのはやとちりも含め記録としてこのままにしておきます。
ところで「統一教会」の名前がメディアにまったく出てきてないようです。そちらのほうが大問題。


あたらしい念仏

 20220629

「野党よりまし野党よりまし」と新種の念仏を唱えてさえいれば西方極楽浄土へ連れていってもらえるもののように信じているひとがいまだにいるのは驚くべきことです。
諸国と比べたあらゆる指標が、安倍政権以来の大愚策による、日本の急激な没落を物語っています。唯一ましなのが失業率の低さですが、これは少子化のせいであって、現政権のご利益ではありませんから。
物価の上昇が諸国と比べて緩やかなのは、消費の冷え込みが限界に達していて、価格転嫁するに忍びなく企業が泣く泣くコストをかぶってくれているからだけであって、現政権が何かしてくれたからではありませんから。
「消費税は社会保障の重要な財源」という、国会中継を聞いていたら誰でもわかる嘘を、「嘘だよ」と指摘もぜずそのまま垂れ流す公共放送のある国でまともな判断ができるわけがありませんから。
自分が生きているあいだに大政翼賛会の再来を目の当たりにするとは、8年前には想像もしていませんでした。
投票率とその国民の主観的幸福度とは強い相関があるそうです。
日本の投票率139位、幸福度は先進国最低レベル、そして報道の自由度71位。
「訴えの中身」で選択して、「残した結果」で評価する、という当たり前のことができる社会になりますように。
画像は 「標」 キャンバスに油彩 2022年
 

 

 

トーテムポールできた〜

 20220620

トーテムポールがなんとなく完成したので、試作の縮小版と一緒に記念写真をぱちり。
オーナーさんのご希望で色が試作とは多少変わって、設置場所の森に似合いそう。あとはご意見を聞いて細部を詰めたらほんとのできあがり。実際に立つ(建つ?)ところを見るのが楽しみだなあ。設置工事日が決まって引き取られるまでは我が家の前にありますので、機会があったら見てやってください。
トーテムポールも2回めなので、ずいぶん上達しました。というと1回めの方には申しわけない感じですが、いやほんとにすいませんと思っちゃいます。背中を押してくださるみなさんのおかげでいまの自分があります。ありがとうございます。
はたして3回めはあるのか?ないのか?



二人展のお知らせ

 20220611

来月は二人展をやります。
今回はクラフト市などで大人気の「100匹の猫と仲間たち」高橋次郎さんと一緒ですよ〜〜
じろうさんの、「にぎやかわいい」動物たちにぜひ会いにきてください。ぼくのへんてこ生きものや陰気な抽象画もついでにみていただけたらさいわいです。
さて、どんな展示になるかなあ。がんばって制作します。


 


トーテムポール少しずつ

 20220520
ほぼ公開制作みたいになってるトーテムポールが少しずつできてきてます。
単純作業の局面になるとずいぶんどうでもいいことを考えるものです。
最近作業しながら考えた余計なこと

人類が、陸を歩くペンギンを、その歩きの下手さゆえにかわいいと思うように、海でたどたどしく泳ぐ人類をイルカが「かわいい人類ちゃん」と思っている可能性はある。
 
王様が裸なのは周知の事実だとして、いつ「王様は裸だ」と声をあげるのが得策か。最初に声をあげるのは危険すぎる。最後のひとりになるまで頑張る義理もない。それで、50%以上の人が声をあげたら自分もあげる、という基準を持つ人が51%いたとしたら、声をあげる人の割合が49%を超えることは永遠にないのだなあ。
 
みんなが幸せになる方法を教えてくれるAIよりも「今ならばれないから泥棒するのがお得」と教えてくれるAIの方が先に開発されて普及するに決まってる。金持ちだけが我れ先にそういうのを手に入れていき、我々貧乏人はますます身ぐるみ剥がされ…
 
あるえらい先生が「メッセージが含まれていなければアートではありません」といっていたけれど、上手に計算してメッセージを「提示」したところで「感心」されることはあっても「感動」されることはないでしょう。逆に、夕焼けをみて「感動した」という人はいても「感心した」という人はいないでしょう。アートは「機智頓才を弄した説教」でもないし「奇声を発してどれだけの人を振り向かせることができるかを競う競技」でもない。アートに「感動」するとはどういうことか、この先生はよく考え直してみるとよいのではないか。
 
ある表現によってたとえ傷つく人がいるとしてもあくまでも表現の自由という正論を主張する、のはおおいに結構。ただし、傷つく人へのやさしさのなさは残念に思う。やさしさは義務ではないので、やさしさのなさを正論でたたくことはできない。どこまでもただただ残念なだけ。
 
おやつの神さまは冬毛のたぬきのかたちをしていてほしい。
 
などなど。。。



ゲルニカ

 20220501

プーチンの非道に対して、不十分とはいえ国際社会がここまで結束して制裁ができるとは、2月にはまったく予想していませんでした。これができるなら、チェチェンのときだってシリアのときだって今回のように制裁できたはずではないか、やっていたら今回のウクライナ侵攻はなかったのではないか。
最近の香港問題やミャンマー問題にも同じことがいえると思います。かの国々に対してろくな制裁も説得もしようとせず見殺しにしている(のみならずミャンマー国軍の軍事訓練をしてあげている日本のような国まである始末)代償は将来もっと大きな暴力となって返ってくる気がしてなりません。
一方、米英のイラク侵攻なんかになると、その圧倒的な力による非道に対して当時そもそも誰か効力のある制裁をできる者がいただろうか、やはり「道理」は「力」には勝てないのか、と暗澹たる気持ちになります。

今回のプーチンの「力」による暴挙は、さすがに国際社会も今度ばかりは「道理」を勝たせておかなければならないと考えるほどに、行き過ぎていたということでしょう。ですが、今回もし「道理」が勝ったとして。それは「道理」が「道理」であるがゆえに勝ったのではなく、「道理」に「力」を与えることができたから勝てたに過ぎない。(制裁も「力」の行使の一種ですから。)
つまり、やはり勝つのは「力」だということです。

「道理」が「道理」であるがゆえに勝つ、という現象が起きうるのは、当事者全員が「道理」は「道理」であるがゆえに勝つべきだという価値観を共有しているときだけでしょう。

勝つのは「道理」ではなく「力」であるという不条理な現実があるとして、だから自分も「力」を持とう、というのが右翼。「道理」が勝つ世界に変えよう、というのが左翼。
右翼の論理は「力」には「力」を、という堂々巡りで出口がない。さりとて左翼の目標はどうしたら達成できるのか誰にもわからない。
だから、どちらが正しいか、という議論に意味はない。
だいたいの人はその中間のどこかで、説得や駆け引きやときには恫喝を駆使して上手に立ち回って泳いでいこうとする。それが一番適応的な行動でしょう。
その中で大事なのは、現実の不条理に対して、ちゃんと「煩悶」しているかどうかなのだと思います。煩悶なき右翼はただの暴力集団だし、煩悶なき左翼はただのお花畑です。
心配なのは、憲法9条を嘲笑する人に「煩悶」が感じられないこと。
煩悶なきヤクザに憲法9条をいじられるのはぼくは耐えられません。
答えのない問題について煩悶し続けるのはエネルギーがいるものです。それをさぼって「わしは冷徹なリアリストだから不条理な現実にも動じないのだ」という体裁で威勢のいいことを断言してみせるほうがよほど楽だしなんかかっこよくみえます。でもぼくはそういう人を信用しません。

今回の戦争によって世界中が右傾化するのは避けられません。日本なんかは安倍一味が今がチャンスとばかりに軍拡論を叫んでいます。今夏の参院選はまちがいなく自公が圧勝するでしょう。なにしろ昨年あれだけの腐敗やコロナ失政を満天下に晒したにもかかわらず彼らは選挙でびくともしなかったのですから。
もしみんながほんとうに軍拡を望むなら軍拡はしかたありません。でもそのために自公政権を選ぶということは、あの腐敗と慢心と改竄と虚偽と隠蔽と格差拡大路線と経済破綻と教育崩壊と拝金主義と民主主義破壊と無能外交と反知性主義と強権的弾圧と(中略)とがもれなくついてくるということです。これらはたぶんどれも、みんなが望んだものではなく無関心が招いた副産物に過ぎません。
そして「自公政権による改憲」という悪夢が迫ってきます。自民党の改憲草案では、基本的人権が縮小されていたり、独裁を可能にする小細工が仕込まれたりしています。ただ「現状に即して自衛隊を明記しましょう」というようなものではないのです。彼らは本当の意図を後ろ手に、無害な表向きの能書きばかりを電通的手法で宣伝し、右傾化の潮流に乗って危険な改憲をするでしょう。「ナチスの手口に学べ」といった麻生の言葉そのままに。

ところで防衛についていえば、ぼくは軍拡を叫ぶ前に、戦争を避ける外交努力はいうまでもなく、食料とエネルギーの自給についてもっと真剣に考えるべきだと思います。それがほんとの国防です。そのための予算こそがほんとうの「防衛費」です。

もちろん野党が政権をとったら腐敗や失政がなくなるという保証はありません。けれど、政権交代はありうるという緊張感なくしてよい政治はありえません。

というようなことをぐるぐると考えながら生まれてくる作品がなぜ「ゲルニカ」のようにならず亀や蛙なのかなあ?