21世紀の縄文人展

20190807
便利な世の中になればなるほど忙しくなるのはなぜか、についてここ何年か考え続けている。けれど、答えのしっぽをつかまえることはまだできない。

たとえば文字を手に入れたとき、人類がかわりに何を失ったのか、いまではだれにもわからない。いまでも文字を持たぬ少数民族はいるだろうが、彼らをいくら眺めても、ぼくらには永遠にわからない。
何がどう損なわれたかわからなくなるくらい、致命的に何かが損なわれてしまったのかもしれないし、何も失っていないのかもしれない。わかることは、ただ「わからない」ということだけ。

「21世紀の縄文人展」、今年も開催中です。