ビジネスマナー

 20210223

NHKで高校生のためのビジネスマナーをやっていて腰を抜かしました。二度とこない思春期の胸にビジネスマナーなど植え付けるくらいなら、河原に寝転んで雲を眺めていたほうがよほど深い思索にふけることができ、有意義な青春になるでしょうに。
おそらくいま我々が目の当たりにしているのは、生きにくい世であればあるほど、現状のシステムにいかに適応するかという関心が大きくなり、システムそのものが間違っているのではないかと疑う力が衰えてゆき、そして生きにくい世にさらに拍車がかかるという悪循環です。
今日の支配者層はもちろんそれを望んでいるわけで、彼らにとっては好循環なのでしょう。が、寄生虫が宿主の生き血を吸いすぎておのずから滅ぶような愚かな所業は長くは続かないとは思わないのでしょうか、それともそれを知りつつ「我が亡き後に洪水よ来たれ」なのでしょうか。
日本の寄生虫の親玉、もとい経団連の会長が、「日本の賃金水準がいつの間にかOECDの中で相当下位になっている」などと抜かしたようですが、こんな「殴り続けていたらいつの間にか死んでました」みたいなふざけたことを言われても日本のいまの若者は憤るすべを知らないのだとしたら、ほんとうに深刻なことだと思います。


画像は「鷽(うそ)夫婦」 木彫


 

鹿

 20210213

動物にかかわる仕事を長くしてきて、ずっと「人間と動物を分かつ根本的な違いはなにか」を考えてきましたが、いまは、答えはないという気がしています。たとえば、「答えのない問いを問い続ける力は人間だけが持っている」などといえば気のきいた答えにみえるかもしれませんが、それは、象が「長い鼻は象だけが持っている」というのと何が違うのでしょう。それぞれ生きものには固有の特徴がある、というだけのこと。
だから、絶滅するまでは人間も動物として泣いたり笑ったり殺したりしてせいぜい悪あがきして生きていけばいいではないか、というくらいに思うことがあります。ときどきですけれど。

鹿 2021 acrylic on paper