20250308
トーテムポールのてっぺんにつける翼を作りましたが、ちょっと小さいなーと思ったので新たに作り直し。
最初の翼が余ったので、これに合わせてへんてこな鳥をつくりたくなったけれど、引き受けてまだ手つかずの仕事があと3つあるのでちょっと先になりそうです。
20250308
トーテムポールのてっぺんにつける翼を作りましたが、ちょっと小さいなーと思ったので新たに作り直し。
最初の翼が余ったので、これに合わせてへんてこな鳥をつくりたくなったけれど、引き受けてまだ手つかずの仕事があと3つあるのでちょっと先になりそうです。
20250303
きれいな丸い石を見つけたので
自分の魂と置き換えてみた
魂は草の上に置いてきた
自分がこの森を離れる頃には
魂は血と肉を得て鳥になるだろう
トーテムポールを作りながら変な詩をひねり出すのは楽しいです。
不思議と、絵を描きながらだとそれはできません。
20250207
ここ3週間ほど、刃物研ぎばかりやっています。
木彫や大工仕事で使う鑿(のみ)とかナイフとか、その場しのぎのいい加減な研ぎ方を繰り返すうちに狂いが蓄積していき、やがてにっちもさっちもいかなくなるという、アベノミクス日銀みたいなことになってきたので、いったん腰を据えて根本的に直そうと思い立った次第です。
刃物と一緒に指まで研いでしまって、ひりひりします。
狂わすのは一瞬でできるけれど、それを修復するのはずいぶん時間のかかることです。
刃物は数日だけどアベノミクスからの回復は何十年かかることやら。
20250116
ここ4、5年で痛感するのは、
実利と無関係に見える「教養」にも、
うさんくさい情報をうさんくさいと感じる「嗅覚」が発達したり、
不確実な情報を「真偽未決」としてぶら下げたまま歩く「体力」を得られる、
という効用があることです。
もちろんそんなのは二次的な副産物であって、教養の本当の役割は
《「未知への憧憬」や「知る喜び」が人間を人間たらしめる》
というところにあるのは言うに及ばす。ですが。
そこでですね、聞いてください、
こないだNHKで高校生向けの「現代の国語」という番組を見てみたら、テーマが「面接の極意」、就職活動のプロによる模擬面接に挑戦!だって。この世の終わりを垣間見た気がしました。国語の時間まで企業戦士養成所の下請けになっちゃったのですね。
人間の形をしたなんかへんな生きものが政治を牛耳るようになったから、人間を人間たらしめる教養も不要になったということのようです。
手遅れになる前に、教育をはやく立て直さないと。
画像は「ひみつの村」(部分)
2024年、板に油彩
20250107
ある日、お腹の上で猫が眠り始めたので動けなくなり、仕事をさぼって頭の中でつくった詩です
↓
草むらに置き忘れられた縦笛は
血と肉を得て鳥になった
鳴りたいときに勝手に鳴る笛だから
鳥になっても好き勝手に鳴りながら
好き勝手に歩いた
もともと笛だから
故郷も家族もない
仲間を欲しいと思ったこともない
けれど樹とは何となく親しくなった
星たちの匂いが満ちて
こだまや岩が目覚める季節になると
樹は高く低く鳴る
すると笛鳥も鳴る
ふたりの合奏は
互いに合わせるでもなく
てんでに鳴り
終わりたいときにてんでに終わる
やがて季節が移ると
鳥は雪解け水の流れを越えて
どこかへ飛んで行った
20241230
展覧会ふたつ、開催中です。
小淵沢のレストラン、キッチンハートランドさん
1月31日まで、火水お休み
八ヶ岳倶楽部(ステージという建物)で6人展
1月3日まで
ご都合が合うところがあればぜひおいでください。
20241202
いま日本語で「遊び」と呼ばれているもののほとんどは実際は「遊ばされ」であって、本来DNAが欲している「遊び」とは次元が異なるようです。
「このように遊ばせてやろう」とする管理者の目をかいくぐる試みこそが「遊び」の本質だからです。
管理者の思惑どおりに「正しく遊ぶ」ような、ゲームとか習い事とかで日が暮れるのは、個人の成熟の妨げとしか思われません。
部活をさぼって河原でぼーっと雲を眺める時間のほうがよほど有意義だとぼくは思います。
わしゃー、これからもぼーっと生きてやるぞー。
20241119
兵庫、ひどい選挙でした。
ネットのデマももちろんひどいが、いちばんひどいのはそれを珍しい天災のようにただ驚いたり嘆いたりしてるだけの既存メディアですよ。
たくさんの人が、ネットで「真実」に「目覚めた」と思ってしまったのは、既存メディアが「中立公正という制約があるから選挙期間中は報道できない」として、事実を事実として伝えないからですよ。兵庫の選挙でいえば、選挙期間が始まったとたん百条委員会のことをぱったりと報道しなくなったからですよ。
これのどこが「中立公正」ですか。
デマには「これはデマです」、過去の悪事には「こんな悪事をしました」、約束を破ったら「約束を破りました」、質問をはぐらかしたら「質問に答えませんでした」と、いいことも悪いことも細大漏らさず知らせるのがほんとの中立公正、投票のために必要な情報提供でしょうよ。
「中立公正のために沈黙する」という詭弁を発明して、メディアが候補者の言い分垂れ流し専門チャンネルになり果てたのは第二次安倍政権のときの菅官房長官のメディアへの圧力電話が始まりだったと思います。
圧力電話の何がそんなに怖かったのですか?
だってあなたがた、メディアでしょう?
メディアなら、「ねえねえ 政権がこんな不当な圧力をかけてきたよ!」と告発報道しようと思えばすぐにできたでしょう?
そうやってメディアが団結して圧力を跳ね返していれば、「菅が愚劣な企てをしたこともあったね」と笑い話で済んだことです。
あのときに報道の自由の使い方がわからなくて持て余して放り投げてしまって、サラリーマンとしては己が身は安泰でしょうが、そのために社会的使命は犠牲になり、今回のような大惨事を招くまでに至りました。
こんなメディアをこれからどうやって立て直せばいいのか、途方に暮れます。
ついこないだまでは、歴史でナチスの所業を学ぶのは「ナチスと同じ過ちを繰り返さないため」だと当然のように思っていました。でもいまは、「ナチスと同じことをするために」それを学ぶ人が現れた。かつて麻生が「ナチスの手口を学べ」と言ったように。
いまは斎藤のような「現代の小ヒトラー」の出現で済んでいるかもしれないが、そのうちほんとの「大ヒトラー」がどこかに現れるかもしれません。少なくともその素地はもう完成の域に達してしまったように思えてなりません。
20241104
おかげさまで今年は作品展が続きます。
今年最後(か、最後から2ばんめか?)の作品展が小淵沢のレストラン キッチンハートランドさんで開催中です。
1月末まで。
期間が3ヶ月と長いので、途中で作品の入れ替えをしたいなーと思っています。
よかったらランチやデザートと一緒にお楽しみください。
20241030
アメリカが赤いジェノサイドと青いジェノサイドのどちらかしか選べない、という地獄。
カービーがいつものあの泳いだ目で「Israel has the right to defend itself.(イスラエルには自衛権がある)」とぬかすのを見るたびにPCの画面を叩き割りたくなります。
彼らが「自衛」と言い張る21世紀のホロコーストは、史上最も詳しく記録され、史上はじめて世界中がライブで目撃しているジェノサイドです。
同胞である人類ちゃんたちは、それをどういう了見でただ指をくわえて見てるわけ?
(かいつぶり より)