20250116
ここ4、5年で痛感するのは、
実利と無関係に見える「教養」にも、
うさんくさい情報をうさんくさいと感じる「嗅覚」が発達したり、
不確実な情報を「真偽未決」としてぶら下げたまま歩く「体力」を得られる、
という効用があることです。
もちろんそんなのは二次的な副産物であって、教養の本当の役割は
《「未知への憧憬」や「知る喜び」が人間を人間たらしめる》
というところにあるのは言うに及ばす。ですが。
そこでですね、聞いてください、
こないだNHKで高校生向けの「現代の国語」という番組を見てみたら、テーマが「面接の極意」、就職活動のプロによる模擬面接に挑戦!だって。この世の終わりを垣間見た気がしました。国語の時間まで企業戦士養成所の下請けになっちゃったのですね。
人間の形をしたなんかへんな生きものが政治を牛耳るようになったから、人間を人間たらしめる教養も不要になったということのようです。
手遅れになる前に、教育をはやく立て直さないと。
画像は「ひみつの村」(部分)
2024年、板に油彩