カナリヤ

 20220711

民意は民意だ。
投票率世界139位でも、メディアが現政権の批判も検証もなーんもやらんかったとしても、小選挙区制という欠陥システムの末路だとしても、民意さまは民意さまだという理屈は無敵だ。
内田樹さんいわく「有権者は「現状維持」を選んだということで、「現状維持」というのは「このままどんどん沈んでゆく」ということなので、そういう運命を日本人は選んだようです」。
あのー、実際は、沈んでる自覚がないのだと思われる。自分が沈んでる、というよりも、まわりが上がってて取り残されている、ので、まわりさえ見なければ、現状維持できているようにみえてしまうことが可能なので、まあ最下層でもなければ奴隷労働に我慢してればそうそう餓死することもないし、ちょっと息苦しかったり厳しいこともあるけど世の中そんなもんでしょう、努力が必要なのよ、コロナや戦争があったりでしようがないのよ、とか言われて、そんなもんかー、子育てだって大変なのわかってて産んだんだから文句言っちゃあいけないよね、って、そういう人が大多数なのでしょう。
ともかく、「政策の中身を比べて選ぶ」「残した結果で評価する」という合理性が毎回の投票行動にどの程度寄与し得ているのかは謎です。きちんと科学的な社会調査をしたら、合理性の寄与は限りなくゼロに近い、という結果が出る気がして、おそろしゅうございます。合理的判断の結果がいま、だとしたらもっとおそろしいのかどうか、よくわかりませんが。
いずれにしろ、そんなご民意さまの巻き添え食らって身ぐるみ剥がされるこちらはたまったものではありません。野良アーティストなんてものは炭鉱のカナリヤみたいなもので、社会が腐ったら真っ先に潰れる(経済的にも精神的にも)ようにできてるので。
そろそろ方針転換が必要なのでしょうか。
いまや、先の焼け野原の教訓の賞味期限は驚くべきことにたったの70余年であるとわかったわけなので、二度目の焼け野原を招致しないためにどうするか、ではなく、来たるべき次の焼け野原をいかに早く小さく終わらせるかを考えなければいけなくなったような気がします。
籠から逃げられないとわかってしまったカナリアは、せいぜい丈夫なカナリアになるべく、ごはんをもりもりいただくことくらいしかできることがありませぬ。

画像は「炭鉱のカナリヤ」 2022年 キャンバスに油彩