トーテムポール少しずつ

 20220520
ほぼ公開制作みたいになってるトーテムポールが少しずつできてきてます。
単純作業の局面になるとずいぶんどうでもいいことを考えるものです。
最近作業しながら考えた余計なこと

人類が、陸を歩くペンギンを、その歩きの下手さゆえにかわいいと思うように、海でたどたどしく泳ぐ人類をイルカが「かわいい人類ちゃん」と思っている可能性はある。
 
王様が裸なのは周知の事実だとして、いつ「王様は裸だ」と声をあげるのが得策か。最初に声をあげるのは危険すぎる。最後のひとりになるまで頑張る義理もない。それで、50%以上の人が声をあげたら自分もあげる、という基準を持つ人が51%いたとしたら、声をあげる人の割合が49%を超えることは永遠にないのだなあ。
 
みんなが幸せになる方法を教えてくれるAIよりも「今ならばれないから泥棒するのがお得」と教えてくれるAIの方が先に開発されて普及するに決まってる。金持ちだけが我れ先にそういうのを手に入れていき、我々貧乏人はますます身ぐるみ剥がされ…
 
あるえらい先生が「メッセージが含まれていなければアートではありません」といっていたけれど、上手に計算してメッセージを「提示」したところで「感心」されることはあっても「感動」されることはないでしょう。逆に、夕焼けをみて「感動した」という人はいても「感心した」という人はいないでしょう。アートは「機智頓才を弄した説教」でもないし「奇声を発してどれだけの人を振り向かせることができるかを競う競技」でもない。アートに「感動」するとはどういうことか、この先生はよく考え直してみるとよいのではないか。
 
ある表現によってたとえ傷つく人がいるとしてもあくまでも表現の自由という正論を主張する、のはおおいに結構。ただし、傷つく人へのやさしさのなさは残念に思う。やさしさは義務ではないので、やさしさのなさを正論でたたくことはできない。どこまでもただただ残念なだけ。
 
おやつの神さまは冬毛のたぬきのかたちをしていてほしい。
 
などなど。。。