社会的ジレンマ

20160709
こう言い放っている人がいてびっくりした。しかもぼくの母校の大学教授。
「いまの時代、国政選挙で、1票差で決まるような選挙はまずありません。世論調査も発達して、結果も始まる前にだいたいわかってしまう」
「実際のところ、1票は限りなく軽いというのが、現実です。だったら、わざわざ労力をかけてまでいかないよ、という判断があったとして、それは十分に合理的です。こういう合理的な発想をする人をバカと言いきれますか?」
(まあ、これが彼の結論ではなくて話は続きがあるんですが今はそれはおいておいて)

それでは、彼のいう「1票」を空き缶1個に置き換えて考えてみましょう。
 ↓
「いまの時代、空き缶一個のポイ捨てによる環境汚染で滅びる街はまずありません。」
「実際のところ、ポイ捨て一個は限りなく軽いというのが、現実です。だったらわざわざ労力をかけてまでゴミ箱までいかないよ、という判断があったとして、それは十分に合理的です。こういう合理的な発想をする人をバカと言いきれますか?」

世の中が合理的になるほど空き缶と棄権者だらけになっていくようですね。

この母校に在学中に、ぼくは「社会的ジレンマ」という今でも忘れられない概念を教わりました。
1. ある場面で、こうすれば全員にとって有益だとわかっている協力的行動というのがあるとする。大多数が協力的行動をとると全員に利益がある。
2. しかし協力的行動には労力やコストの負担が伴うので、非協力的行動をとった方が個人的には得をする。
3. しかし大多数が非協力的行動をとると全員にとってダメージとなる。
こういう特徴を持つ社会現象はいたるところにあります。こういう場面での葛藤を「社会的ジレンマ」と呼びます。
空き缶の捨て方も投票行動も、社会的ジレンマの一例です。正直者が損をする現象といってもいいかもしれません。
こういう問題は、個人のモラルに訴えるだけでは解決しません。社会制度によって損と得のバランスを調整するのも政治の役割のひとつですね。

というわけで、空き缶ポイ捨てしないよい子のみなさんは明日投票に行きましょう。くれぐれも嘘つき政党には入れないで!