たまには芸術論

20150719
熱を出して寝込んでおります。その間、ちょっと楽になったときにふとエッセイができあがることがあります。雑事にわずらわされずゆっくりものを考えることができるからでしょうか。
きょうのエッセイはまじめに芸術論。



「早く安く」の掛け声に覆い尽くされたこの国で、人がものを深く考えなくなりました。そうして昨年12月、「わかりやすい」宣伝文句にいっせいに飛びついた結果が、この空前の衆愚国家です。
というわけで、手間をかけて時間をかけて「わかりにくい」絵を描いてみました。「わからなさ」の中に分け入って耳を傾けようとする人にしか聞こえない言葉がこの世界にはあるから。本当に大事な言葉は、そういうふうにしか伝えられないのかもしれません。ぼくの作品の中にそういう言葉たちが少しでも含まれていますように、と願うばかりです。 そういう言葉たちは、画家が計算して作品の中に仕込むことができるものではありません。自分の生きざまを作品に真剣に刻み込むほどにおのずから宿ってくるものです。だから、画家は「メッセージ」だの「テーマ」だの「構図」だのに頭をひねっているひまがあったら、作品に自分の生きざまを全力でぶつけることです。でもその前に、作品に刻み込むに値する生きざまをまず生きてみせることかもしれません。