20230512
今年最初の個展が、陶仙房さんで始まりました。
立体はいつもの顔ぶれからの選抜メンバーですが、絵画は冬の間描きためた新作と、八ヶ岳初お目見えを中心に展示してます。
旬の山菜の入ったランチもとてもおすすめですよー。
吉野剛広作品展「明日の森」
2023年5月11日(木)〜29日(月)火・水曜定休
10:00〜17:00(初日は13:00〜)
長野県茅野市湖東須栗平3208 陶仙房にて
20230512
今年最初の個展が、陶仙房さんで始まりました。
立体はいつもの顔ぶれからの選抜メンバーですが、絵画は冬の間描きためた新作と、八ヶ岳初お目見えを中心に展示してます。
旬の山菜の入ったランチもとてもおすすめですよー。
吉野剛広作品展「明日の森」
2023年5月11日(木)〜29日(月)火・水曜定休
10:00〜17:00(初日は13:00〜)
長野県茅野市湖東須栗平3208 陶仙房にて
20230510
画像は
「ちょっと、そこの人類ちゃん、地球を破滅させる前に、地球をもう一個作れるAI 搭載ロボットを完成させることができるんでしょうね?
それができなかったらあんたの個展会場のそこらじゅうにうんちするよ!
と、責め立ててくるすずめたち」
2023年 紙にアクリルガッシュ
AIがやがて自分自身を改良・再設計しながらひとり歩きするようになるのは間違いないことのようで、そうなるとつまり生命進化と同じ原理で転がっていくということであり、行き着くところは弱肉強食・適者生存。
はて、この場合の「適者」は、単に「より生存に適した」AIであって、「人類に優しい」かどうかは関係がないですね。
なので、人肉をエネルギー源にするAIだって現れない保証はない。
けれど、もうパンドラの箱は開いてしまったし、賽は投げられてしまいました。
明日から個展です。
すずめさん、うんちしに行くなら個展会場じゃなくて、国会で質問に答えない議員のおでこの上とかにしてください。
20230502
画像は「こんな色をしてますが、からすの仲間ですよー」
2023年 紙にアクリルガッシュ
今年は個展が3つ入っています。
5月に茅野市陶仙房、7月に八ヶ岳高原ロッジ、11月に名古屋のギャラリー紗季。
その他に自分のところで自主個展をやれるかどうか、やるなら9月かなあと悩み中です。
20230426
画像は
「投票率の低さに驚かなくなった自分に驚いたのがもうはるか昔のような気がしている自分に驚いている4羽の鳥」
2023年 キャンバスに油彩
「自由への渇望」を持たぬ者に「自由」を使いこなすことはできません。
「自由」を外から与えることはできても、「自由への渇望」は与えることができません。それは、来たるべき次の焼け野原の上に自ずから芽吹くほかない。
願わくば、次の焼け野原が早めに、小さく済みますように。
そうしている間にも日本の政治は機能しなくなって取り返しのつかないところまで来てしまい、蛸が自分のどの脚を食べるかみたいな議論しかできない国になってしまいました。
なので、投票しない人に腹を立てている人の気持ちはよくわかります。でも、投票しない人を非難してやっつければその人が投票に行くというものではないので、ここはそういう人に届く言葉を見つけて、情理を尽くして説得するしかありません。
このままでは、スーパーにお惣菜やパンが隙間なく並ぶのが当たり前でなくなるのももうすぐです。そうなってから慌てても、もう選挙がどうのなんて言ってられないですよー、米騒動や一揆しかなくなりますよー。
これだと説得ではなくて脅迫ですかね。
と、4羽の鳥たちも言葉を探しあぐねております。
20230417
無宗教の人でも、世界の不思議さに耐えきれなくなったときは、地球とか宇宙とかになにか意志のようなものがあるとみなすといろいろ説明がつき気持ちが楽になるということはあるでしょう。
なのに、科学の徒というのはやっかいで、どんなものについても、どうしても否定できなくなるまではそれを認めない(仮説のままにとどめておこうとする)もので、ぼくもそういう科学の徒のなれの果てですから、いまのところはその存在を認めずに世界の不思議さに耐えるしかなさそうです。
ただ、地球にもし意志や感情があったとしても、地球がいま泣いているとは思いません。人類をこれから盛大に泣かせるだろう温暖化や核の問題も、地球の46億年の星霜に比べればさざ波にもならないでしょう。
恐竜を絶滅させた隕石の惨禍をむしろてこにして繁栄してきた連中の末裔たちは、環境が新しくなればなったで、適応できるものが繁栄し適応できないものが衰退するという、いままでの続きをやるだけです。地球そのものとしてはそこに良いも悪いもないのでしょう。
などと言葉にしてはみるものの、自然の中を歩いてものを考えていると、どうしても言葉というものの限界を思わされます。自然から受けた示唆を言葉にする試みは、なんだか、無理数のはずの円周率を3.14とみなしてごまかすような後ろめたさが付き纏うものです。その後ろめたさを拭うために絵を描いているのかもしれませんが、もちろん、どんなに絵を描いてもそれが拭われた試しがありませんから、つまり幸いなことに一生絵を描き続けることができるということのようです。
前置きが長くなりましたが、来月の個展のご案内です。
5月11日(木)ー29日(月)ただし火・水曜日はお休み
10:00ー17:00(初日は13:00から)
会場:陶仙房 須栗平
茅野市湖東須栗平3208
電話 0266-75-5522
油彩を中心に新作をせっせと制作中です。
すてきな古民家のカフェの一室です。ぜひお楽しみください。
20230325
「外界を知らぬ籠の鳥は、入り口が開けられて外へ出てもそのあとどうしたらよいかわからない。
ここへきて不意に自由を保証されたメディアも同様で、報道の自由を持て余してまごまごして、開いた扉から外をおそるおそる覗きこむばかり。そして、この自分のへっぴり腰を自分で報道しかねている情けない姿は世界の笑いものです。
問題は官邸の圧力でもなく、ましてや高市の幼稚な言動でもない。そんなものは、たまたま馬鹿が権力を握った時があったね、というだけのこと。圧力なんて、メディアがその気になれば団結して跳ね返すことができたはずの、なんでもないこと。それよりなにより絶望的なのは、当のメディア自身が報道の自由を渇望していないということ。自由への渇望は外からの説教や叱咤で湧いてくるものではない。今となっては「次の焼け野原」を経て自ずから芽生えるほかない。
「矜持」という語彙に至っては、彼らの辞書の中の解説には「なにそれおいしいの?」としか書かれていない。
「からすは白い」説と「からすは黒い」説とを両論併記して、「両方を紹介したのですからわたしは悪くありません」と、これが公正な報道でございますみたいな顔をされてはたまらない。
公正な報道というのは、外へ出て実物のカラスの写真を撮って、カラスの本当の色を明らかにしてみせることではありませんか?
と、ぷんすか文句を言っている散歩獣」
2023年 キャンバスに油彩
20230226
先日の雪の日、いかに「効率的に」雪かきをするかを考えている自分を、もう一人の自分が見ながら思ったことをまとめてみました。
↓
効率とか生産性とかは、いかに怠けるか、楽をするかという観点からのみ追求されるべきであって、もっと稼ぐとか競争に勝つとかのために追求するとろくなことにならないもののようです。
たとえば、ロボットが代わりにやってくれる仕事が増えたとしたら、その浮いた時間を分け合ってみんな少しずつ寝る時間を増やせば幸せが増えるが、ロボットのお世話係の数人だけ残して人員削減などした日には、失業者が増えるばかりで儲かるのは経営者だけ、そして周りがみんなそういう経営者だらけになったら庶民の購買力は減ってものが売れなくなり、経営者たちの首も締まっていく。結局誰も幸せにならないという、現代版イソップ童話みたいなことになるようです。(日本では失業者が増えない代わりに、非正規労働者という、3人でやっと給料1人分の「3分の2失業者」がたくさん)
今までの文明の恩恵を、「いかにみんなでごろごろ怠けて暮らすか」という方向に全力で活用していたら、いまごろはどんなに幸せな世界になっていたでしょう。
みんなでごろごろしていたら新たなイノベーションは生まれないのではないかという心配は無用だと思います。イノベーションや創造性は「心遊ばせる自由度」に比例するので、「拘束時間」とは無関係です。昔から、歴史的な大発明大発見は金と時間を持て余した貴族階級がただやりたくて勝手に成し遂げるものと相場が決まっています。
人類の持って生まれた多様性というのは驚くべきもので、ほっておいても創造性を発揮せずにいられない人というのは一定の割合でいるものです。そういう人は、ただ自由を与えておけばいくらでも発明発見イノベーションをやらかすもので、首に縄をつけてけしかければ仕事するようなものではありません。それは「選択と集中」なる世紀の大愚策で「金がほしければ競争に勝って成果を出せ、ほら早く早く」と学問の徒を鞭打つほどに競争力が落ち続けてきた昨今の大学の様相からも明らかです。
そもそも効率とか生産性とかを突き詰めると、「人間はみないずれ死ぬのだから生きるための努力は無駄、今すぐ死ぬのが最も効率的」という結論にしかなりませんから、だれもが非効率にいい加減にだらしなく生きられる社会がよい社会なのだとぼくは思います。
(以上、自分はこう思うといってるだけで、説教とか演説のつもりはありません。)
画像は「雪かきはたのしいな」キャンバスに油彩2023年
20230221
成田某さんが、経済合理性のために「老人は集団自決せよ」と言ったというニュースが世界中に広まっているようです。ご本人は「メタファーだ」と弁明してますが、どうやらそうではないことが過去の言動などからばれてしまいました。
姥捨山や口減らしをこの世からなくすために先人が積み上げてきた苦労が100年か200年で水泡に帰したとなれば、文明とは結局なんだったのかということになります。
経済効率は人間のためにあるはずで、経済効率のために人間がいるのではありません。
経済効率なんてものを突き詰めてしまったら、「すべての人間いずれは死ぬのだから、生きるための努力は無駄。いますぐ死ぬのが経済効率上は最適解」という結論にしかなりません。
ですが、その前に、全地球いきもの会議で「人類は有害だから集団自決せよ」と全会一致で議決されたと隣の猫が言ってました。
画像は「まるやち湖」 板に油彩 2023年
20230216
狂気を保つというお話です。
絵を描くために必要な狂気は、たぶん致死量の半分くらいかなあと思います。
絶対に使わないことがわかっている絵具を大量にパレットに出すとか、苦労してやっと80点の出来になった画面を全部ぶち壊すとか、そういう「あーやっちゃった、どうしよう」を経ずに絵が完成することはまずありません。
壊すといっても、はじめから壊すつもりで作ったものを壊しても壊したことにはならないので、完成目指して本気で積み上げたものを壊すわけですから、それには一種の錯乱状態が必要です。
適切な量の狂気を保つ、というのは難しいです。多すぎると死んだり周囲に害を撒き散らしたりするし、少なすぎると何も生み出せなくなります。
制作中の頭の中で、どう「処理する」とか、こう「仕上げる」とか、これを「提示する」とか、「ここのバランスがー」とか、そういう、なにかを「操作しよう」「整えよう」としているときはもう だめだめ です。狂気が枯渇している証拠です。
やむにやまれぬ内側からの漏出が結果として絵になっていた、のでなければ絵ではありません。でもそれはとてつもない難事業です。
もう少し修行を積んだら、正気と狂気の間を自在に行ったり来たりできるようになるのかもしれませんが、いまはただおろおろと悪あがきを続けるしかないようです。
画像は「蛙のかくれんぼ」キャンバスに油彩 2023年
20230209
雪景色の絵を描きました。
以下はきのう思いついたどうでもいい詩
↓
ふるさとを持たぬ旅人は、名を持たぬものばかりを拾って歩く。旅人がどんなに丁寧にそれらを拾っても、それらが世界から引き剥がされるときに傷口が少し残る。世界の側にも、名を持たぬそれの側にも。それらの傷口は、その辺を歩いている言葉を一片ずつ吸い込むことで、やがて埋められてゆく。
凍えた旅人を巨樹が匿うとき、巨樹の内なる街は、その旅人の前に一度だけ姿を現す。旅人はその街を、名を持たぬものたちでなみなみと満たす。
一度そこから出た旅人に、巨樹は二度とその街を見せることはない。旅人はただ、翌春にその傍らを通るときに、樹の中に手を差し入れて、内なる街に触れることができるだけだ。
名を持たぬものたちは、名付けられてしまうことを恐れている。旅人だけがそのことを知っている。だから、名を持たぬものたちは、本当は旅人の手に「おかえりなさい」と言いたいのだ。だが言葉はもう残っていない。旅人が樹の上に放り投げていった言葉たちは、もう雪と一緒に溶けてしまった。