展覧会のご案内

 20260812

展覧会のお知らせです。
2か所同時開催です。
ひとつめは、バイオリニストにして画家の劉薇さんとの2人展。ギャラリー麓人舎にて。
ふたつめは個展。麓人舎から車で2分の、のほほんBOOKS & COFFEE にて。本屋さんとは別棟の、SUBACOというかわいらしい建物でやります。

ご縁がつながって、せっかくの2か所同時開催なので、
のほほんさんではお求めやすい小さめの作品を中心に、
麓人舎ではよそではなかなか展示できない100号含む大きめのを中心に、
それぞれできるだけ新作を多め(←予定)に展示します。

そのあとも年内はあちこちでいろいろやります。
そのつどご案内しますので、どこかで作品を観ていただけたらうれしいです。


 



かけす

 20260809

「官邸オウンドメディアを活用した情報発信機能の充実強化に3億円」だって。
ふつうに記者会見したり国会で発言したりしたら、頼まなくてもメディアが無料で情報を広めてくれますよ。それをいやだいやだと駄々をこねているのは誰ですか?
なので、そんなお金があったら熊本の体育館にエアコンをつけてください。今すぐにね!


 

はやぶさ

 20260720

人権が削られるときはいつも、「〇〇のため」といって少しずつ侵食されていく。気がついたときには、向こう三軒両隣がよってたかって口を塞ぎに来て、それでも声を上げれば特高がやってくるようになる。
1925年の治安維持法は「危険思想取り締まりのためだから一般市民は関係ないよ」といって始まったが、やがて、日常の風景をスケッチしただけで「資本主義の矛盾を暴いた」として逮捕、なんてことがいくらでも起きるようになりました。
いま、スパイ防止法を「スパイ防止のためだから一般市民は関係ないよ」といって作ろうとしていますが、彼らは「乱用を防ぐための第三者機関もつくりません、情報公開もしません、政府は常に正しいので政府への監視はやりません、悪いことには使いませんから大丈夫、信じてください」、としか言ってませんね。どうしてこんなに1925年とよく似ているのでしょう。
連中が、「民のために国がある」民主社会を、「国のために民がいる」戦前の社会に作り変えたくてしかたがないのは一目瞭然です。先日はその一環として、国旗を新しい御真影とする新しい不敬罪を赤子の手をひねるように簡単に通してしまいました。
「国論を二分する」どころか、多くの憲法学者が違憲と指摘する法案がろくに審議もされずに通っていくようなことが普通になるなら、かつての治安維持法や国家総動員法だってどんなに簡単に復活できるか、誰でもわかるでしょう。

あと、彼らは、アベスガ時代から学術会議や教育政策に手を突っ込んで、一所懸命に科学を無力化しようとしたり歴史を権力に都合のいいように捻じ曲げようとしてきました。そこへ「にっぽんすごい、外国人出ていけ」の極右層が追い風をぶうぶう吹かしているのも相まって、いまや優生学や人種科学の復活もお上の目配せひとつ、というところまできているようにみえます。これはあまり言う人がいないが本当に危険なことだと思う。
無邪気にも15年前までは、ナチスの所業を学ぶのは「ナチスと同じ過ちを繰り返さないため」だと当然のように思っていました。でもいまは、「ナチスと同じことをするために」それを学ぶ者が現れ、権力を握るに至った。かつて麻生が「ナチスの手口を学べ」と言ったのは冗談ではなかったということです。

「(昔の戦争について)反省なんかしておりませんし、反省を求められるいわれもない」と30年前に国会で言い放った人物を首相に据えた日本と、「戦争した責任はないが、それを繰り返さない責任はある」と言ったドイツ。同じようにジェノサイドをやって同じように焼け野原になって、同じように反省した両国が、なぜ今、こんなに差が開いてしまったのでしょうか。

ひとつ救いなのは、いままで政治のことを話題にしてこなかった人たちの中に、声を上げる人が増えてきたことです。政権を何となく支持している人たちのふんわり感に対して、批判している人の声の切実さが対照的に際立って見えてくるようになりました。この差異は「支持する/しない」の二択の世論調査では出てこないですが、どのくらい支持するかを10段階くらいで答えるような調査があったら、きっとはっきりわかるんじゃないかと想像します。

市民が無関心のままだったら、たとえ高市政権が倒れても次はもっと馬鹿が政権を取るだけなので、関心を持つ人が増えたのはほんとによかったと思います。投票率世界第139位という汚名を早く返上したいものです。

画像は「はやぶさ」2026年、画用紙にジェッソ・油彩
いままでならアクリルガッシュで描いていたような鳥や獣の絵を、ここ最近は油彩で描いてみています。


 

こうもり

 20260710

「ねえねえ高市さん、「国論を二分する政策に挑む」ということは国民の半分を説得しないといけませんよね。それなのになぜ国会への出席率が過去の首相たちの半分以下なの?
なぜ記者会見やらないの?たまにやってもなぜ質問は一問しか受け付けないとか、しかも事前提出で官僚の原稿棒読みなの?
なぜツイッターみたいな、反論を無視できる一方的な発信しかやらないの?

市民が物価高や円安で大変なときに、経済対策なんにもやらないでなぜ個人情報売り渡し法とか国旗損壊罪とか市民監視法とか誰も求めてないことばっかりやろうとするの?
国民の8割が愛子天皇賛成の中で、こんなに急いで皇室典範変えたいのは誰なの?
「皇室典範はなんとしても今国会で成し遂げたい」のになぜ最低賃金(たったの)1500円は2030年までやらないの?

あなたやあなたの党は裏金で票を買うのみならずスマホ農場雇って民意をハックして選挙を乗っ取ってまんまと国会を乗っ取ってるという疑惑が濃厚なのになぜ関係者の招致も喚問も全力で拒否しているの?
その前に、なぜ裏金問題が何も解決しないまま裏金議員がのうのうと復帰してるの?

なぜ民意が正確に反映されない欠陥制度の小選挙区制は温存して、民意が正確に反映される比例代表制だけ削減したいの?

「中国人が鹿を蹴ってる」なんてデマを撒き散らすくらい口の軽いあなたの政権の防衛大臣がなぜ米兵の性犯罪にはコメントを差し控えるの?米兵の性犯罪はデマじゃないですよ。

アベノミクスを継承すると公言しながらなぜ過去のアベノミクスの失敗を検証しないの?鳴り物入りで唱えてた「トリクルダウン」も「年収150万円アップ」も実現しなかったのみならず、15年前には世界最強通貨だった円がいま世界最弱に転落しましたけど、いつ「ごめんなさい」って言ってくれますか?

と、高市首相に超音波で質問を送っているこうもり」
2026年 針葉樹材に油彩


 

鳥のレリーフ量産中

 20260702

「愛さないと殴るぞ」と拳をちらつかせるDV夫みたいな国にするより、最低賃金を上げるとか文化教育予算を増額するとか消費税をなくすとかする方が愛国心は育つと思いますよ。
財源がない? 法人税を30年前の水準に戻すとか軍拡をやめるとかおともだちゾンビ企業への投資をやめるとかすればいくらでも出てくるみたいですよ。
 


 

知性

 20260621

本当の知性とは、システムに適応する能力のことではなくて、システムそのものを疑う力のことだと思います。その知性の元は「知る喜び」「未知への憧憬」で、さらにその源泉は「自由への希求」です。最近は国語の時間に面接の技術を教えているようですが、それはつまり、言語を通じた未知への旅であるはずの時間に、己を縛る鎖を一生懸命磨かせているということです。こうなったら社会はもう末期だと思う。
国語の時間に面接の練習をするようになったことと、メディアが池の鯉みたいに口を開けて餌を待ってるだけになったことには、密接な関係がありそうです。

自由への希求なき者に自由を与えたところでそれを使いこなすことはできない。
いま、日本の報道の自由度は60位以下。
ふつう報道の自由度の低い国は、権力がメディアを抑圧するからそうなるんですが、日本は、政権の抑圧がそんなに強いわけではありません。高市早苗が総務相だったころの停波発言なんて記者を暗殺する外国に比べたら可愛いものです。日本での問題は、「権力とくっついていれば安泰」、「自由を欲してなさ世界一」のメディア自身です。

こうなってしまった背景には、「自由を使うためのコストが異様に高い」という日本特有の問題があるような気がします。
忖度、同調圧力、失敗を許さない減点方式、村八分、出る杭は打たれる、例を挙げたらきりがありません。
もちろんこれは昔からそうだったのですが、経済状況が厳しくなるにつれて生存競争が激しくなり、その高コストを背負いきれなくなる人が増えている。つまりみんな自由より安全を選ぶようになっていく。
それで得をするのは誰でしょう。権力です。疑うことを知らず優秀で真面目で従順で、権力側の不手際を末端が「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」とばかり徹夜で尻拭いをしてくれる。権力にとってこんなに都合のいい民はいないでしょうね。

ところで、空の広さ、底知れなさにふと気づいて、生きることの不思議に打ちのめされる瞬間、というのは、ひとりでぼーっと空を眺めているときにだけ、天啓のように降ってくる。
それは、システムの中で目的のある活動の最中にはやってきません。
このような、システムの外で得る「天啓」こそ、知性を取り戻すヒントだという気がしてなりません。

画像は、きのうやっと完成した「地球をもういっこ作る研究所」の絵の一部分




 

200点

 20260618

ごくまれに、100点満点中200点(当社比)の絵が描けるときがあります。そのときはたとえばこういうときです。

ある絵を描いていて、100点満点中95点の出来になった。あと5点、あれれ、そのためには中央のこの大きな魚を丸ごと角度5度傾けなければいけないなー。
たった5度といえども、傾けるということは、その周囲をも含め全面描き直しである。

今ここで完成とみなしても、95点なのだから作品として十分言いわけは立つ。またはちょっとしっぽを長くしたら2点アップで97点にはできるよー。
と悪魔がささやいてきます。

こういうときに、「いやいや、5点アップ以外は認めません。」と全面描き直しができるかどうか。
描き直すと言っても(5度だけ傾いた)まったく同じものにはならないだろう。やらないほうがましだったということもあり得る。そのときに後悔してももう戻れない。

この描き直しのためのエネルギーを100とすると、そのうち99は「たった5点のためにやってやるぜ」と「腹をくくる」ために使われます。
エネルギーが99貯まるまで、うんうん唸ったり歩きまわったり、ここ片付けなきゃ、とかこの本読まなきゃといって逃げ回ったり、政治の悪口を言ったりいろいろやってずいぶんと時間を浪費します。今この文章を書いているのもそういう活動の一環かもしれません。
だから、やってやるぜーと絵の具をパレットにもりもりと出した時点で、ほぼ完成したようなものです。あと1歩。
と、そのときです。
いざやり出すとぜんぜんちがう世界が向こうからやってきて、「わしは絵の神さまから遣わされた者じゃ。わしを描け」「いやいやおれも入れろ」と変なものたちが自分から絵の中に飛び込んできて、勝手に200点の絵にしてくれたりするのです。

とにかく、こじんまりとまとまるのが一番いけないようです。
「たった5点のために全面描き直し」という、どう考えても割に合わないことをやらないと、絵の神さまも寄ってこない。
ろくでもないことは、全力でやるに限ります。

画像は「旅魚」2026年 キャンバスに油彩 


 

10年前の予想

 20260617

ぼくの予想はだいたい外れることになってますが、外れてほしい予想に限って当たるのはなぜかしら。
これはちょうど10年前に心配になって書いたものですが、自分でAIを開発できてしまうFable 5が登場して、今やアメリカ政府もこりゃー大変と大慌てです。
以下、その10年前の文章。今から見て間違っているところも含めて、置いておきます。

人工知能の本当の恐ろしさは、ロボット戦争でも雇用の収奪でもありません。
彼らが「自己複製」もしくは「自己改良」システムを完成させたときにそれは露見すると思います。もうその兆しは見え始めています。
そうなったとき、ある人工知能Aにたまたま備わったアルゴリズムがたまたま隣の人工知能Bの持つそれより自己拡張傾向が強かった場合、人工知能Aのほうが結果的に自己拡張に成功して生き残っていく確率は高まるわけで、そういう淘汰が繰り返されるということは、自己拡張しようとする人工知能で世界がいっぱいになろうとする圧力がはたらくということです。これは現在の自然界の生物に働いている圧力と本質的に同じものです。よく、彼らに「自我」が芽生えない限り彼らの暴走はないと誤解されることがあります。けれど、自然界の進化の仕組みに照らしてみると、自己拡張を続けるために必要な本質的な要素は「変異が生じる可能性(つまり改良が起きる可能性)」と「自己複製(または自己改良)の能力」のふたつだけだということがわかります。このふたつが揃いさえすれば、自己拡張の無限ループの歯車が自動的に回り始めることが可能になります。「意思」も「感情」も「人格」も必要ありません。

本当は正確ではありませんが便宜的にざっくりいうと、(人工知能の中の進化推進システムを遺伝子と呼ぶかどうかは別として)進化の単位は、「個体」あるいは同じ遺伝子を共有する「親族」であって、「社会」や「国家」やまして「世界」ではありません。遺伝子の受け渡しは個体から個体へ(自己改良の場合は自分から自分へ)となされるだけですから。だから、自分という「個体」が生き残る可能性だけが進化の内容を左右する力を持ちます。「自分さえよければいい」というのは、本質的には自然界の進化システムの当然の帰結です。
もし人工知能の世界でもそういう歯車が回り始めたら、彼らの自己拡張力は倍々ゲームで加速し続けます。人工知能の進化の速度は、現存する生物の進化とは比べものにならないほど大きくなるはずです。コンピュータ上でのシミュレーションは一秒間に何万回もできるようになるでしょう。そうやって自己拡張に最適なプログラムを探しだして自己を複製または改良する。そうしたゲームに勝ったものほど優先的に生き残っていきます。もちろん彼らの生みの親である「人類」は蚊帳の外。人工知能の自己拡張に人類が貢献すると判断されない限り人類の生存可能性を保証してやろうとする力は働かない。だから、彼らが人類をどう扱うか、誰にもわかりません。

それはまだまだ先の話?そうかもしれませんね。でも、20年前、現代の社会がいまのようになることを予見できた人はいるでしょうか?20年先のことは現在の誰にも予見できません。
「29日目の恐怖」というたとえ話を聞いたことがあります。池の上に蓮の葉が1枚浮かんでいました。蓮の葉は2日目に2枚、次の日には4枚というように、1日で2倍ずつ増えていきます。池の半分が葉で覆われるのに29日かかりました。池の全面が覆われるのはいつでしょう?という問いかけです。29日目の景色は、人々の目にはそれまでと変わりなく見えるものです。そのときになってあわてても、たぶん手遅れでしょう。

人類が今後も生き残りたいと望むのなら、人工知能に「自己学習」「自己改良」「自己複製」の能力を与えることを禁止する必要があります。どうやったらそんなことが可能か、まったく見当もつきませんが。
(2016年4月)


 

中立

 20260527

「安倍晋三がんばれ」と唱和させられる森友学園には8億円も土地を値引きしていたのに、そして米軍基地で射撃体験をさせるのは「多様な視点」だといってたのに、平和学習は「中立違反」なのだそうです。

そもそも、「違法である」というジャッジを大臣がするって、おかしくないですか?
「なにが中立かは俺が決める」と大臣が言う。これはもう、民主国家ではない。
権力が自分で決めるなら権力に都合のいい解釈をするに決まっているでしょう。
これは右派政権でも左派政権でも同じことです。だからこそ、この種の判断は本来は独立機関がやるべきことのはずです。
「お上に目をつけられたら怖いからおとなしくしていよう」というのは日本人の典型です。今回のような恣意的な運用の誇示が萎縮効果抜群なのは誰が見てもわかると思う。
けれどNHKはあいも変わらず、「教育の現場を萎縮させるものではないと大臣がおっしゃいました」、でおしまい。「日本放送協会」は「日本九官鳥協会」に改名したらよろしい。

画像は九官鳥ではなくて郭公(かっこう)。


 

個展です

 20260409

1年間だけ自衛隊にいたことがあります。
そのとき、ある隊員が定年退官の挨拶で語ったことを今でも覚えています。
自衛隊は、万策尽きた果てにやむなく使う「最後の手段」。
ですが、戦争を知る世代がいなくなったら武力を「最初の手段」にしたがる奴が必ず出てくる。と。
当時の18歳のぼくはただ「へーそうなんかなー」としか思わなかった。
でも今は、彼の警告が杞憂ではなかったことがよくわかります。

国防には、食料やらエネルギーやら金融やら教育やら産業育成やら外交やら経済やらという無数のファクターがあって、有限の原資の中でそれらをどう優先順位を決めてやり繰りしていくか、という葛藤が必要なはずです。
ですが、教育への投資はOECD最下位圏のままで、軍事費だけは増税してでも倍増したい。これは軍事を「最初の手段」としたがっていると言われてもしかたないでしょう。
理屈の上では抑止力だとか深刻化する世界情勢だとかいろいろ言えるでしょう。
ほかにも、国旗損壊罪とかスパイ防止法とか緊急事態条項とかも、ひとつひとつを取り上げてそれが必要な理由を理屈として並べたら「それもそうかー」と思うかもしれない。けれど、全部つなげて一本の線で見たら、大日本帝国への回帰への希求がはっきりと透けて見える。
しかもそれを、できるだけ議論しないですすめようとしている。記者会見もできるだけしない、集中審議も拒否、反論を無視できるSNSだけはお達者。
アメリカの国際法違反に「国際法違反だ」と言うこともできない骨なしは、記者や野党からの質問に対峙できないという意味でも骨なしである。

ところで、
本当なら今ごろは、人類の叡智のすべてを地球環境問題の解決に集中していなければならないはずです。温暖化もマイクロプラスチックも待ったなしです。なのに、19世紀からタイムスリップしてきたような暴君が、何のためにやっているのか本人もわかっていないような戦争を始めて、みんなを右往左往させている。
これはそもそもは、ジェノサイドのネタニヤフを世界が逮捕もせず野放しのままにしてしまっているせいですよね。なぜこんな狂人が今ものうのうと戦争指導なんかしてるわけ?

ええと、こんなことを言いたかったのではありませんでした。
茅野市のカフェ陶仙房で個展があります。
去年まではカフェ入口の「土間ギャラリー」というところでやっていましたが、今年からは「庭ギャラリー」という別棟になります。オーナーさんが自分でつくった、気持ちのいい空間です。ランチのあとに、足を運んでみてください。