「縄文の狼」

 20220223

ぼくが表紙デザインをさせてもらった、くぼたいねこさんのご著書「縄文の狼 森とムラのはざまで」が届きました。
縄文時代のとあるムラを舞台にした物語です。縄文時代というと考古学の興味が前面にでてきますが、この本を読むと、この時代にも血の通った人間が笑ったり泣いたりしていたのだというあたりまえのことがしみじみと実感されます。また、まつりや生活の細部描写のリアリティが素晴らしい。くぼたさんはほんとうにそこで生活されていたとしか思えないです。そして、いちばん大事なことですが、物語がおもしろいんです。不思議ではらはらどきどきな物語に引き込まれます。ぜひご一読いただきたいです。税込み1760円。
ご購入は、amazonなどでの販売はまだ時間がかかるようですので、
くぼたさんのメール abf1004@go.tvm.ne.jp
までご注文ください。

 



受験シーズン

 20220209

受験シーズンになると、空腹を抱えて途方に暮れていた自分の大学受験のときのことが決まって思い出されます。
ぼくに人生について教えてくれたのは、偉い先生でも立派な説教でもなく、貧しくともまっすぐ地道に暮らす市井の人たちでした。もし今のぼくが多少なりとも人間らしい振る舞いができているとしたら、それはこういう人たちのおかげです。
(再投稿恐縮です。)

「忘れ得ぬ人々 - 2」
二十歳。札幌の貧乏アパートの、陽のまったく当たらない一室に住みつき、毎日深夜にタクシー洗車のバイトに出かけて朝帰ってくる生活をしていたころのこと。そのころ、自分が受験勉強していることを誰かに話したのは、バイト先の先輩Nさんに巧妙に誘導尋問されたとき一度きりだったはずなのだが。
大学の二次試験当日の朝。ぼくはいつものようにバイトから帰ってきた。冬の現場は寒いからがむしゃらに体を動かさざるを得ず、とても疲れていた。アパートの入口の共同玄関で靴を脱いでいると、ぼくを呼び止める大家さんの声がする。大家さんは年配の女性で、娘らしい女性と二人で玄関に一番近い部屋に住んでいる。今月の家賃を払い忘れたっけ?と思って一瞬ぎくりとしたが、どうもそういう用件ではないようで、「これ、今日持って行きなさい」といって、彼女はぼくに包みを差し出した。ぼくは事情を飲み込めずにぽかんとして、何から質問すればいいのか考えあぐねた。けれど、彼女はそんなぼくにかまわず「がんばりなさいよ」というような一言を残してすぐに部屋にひっこみ、ぴしゃりと扉を閉めてしまった。
部屋に戻って包みを開けてみて驚いた。まるでおせち料理のような豪華な手作り弁当だった。受験しに行くなら昼食が必要だということにそのとき初めて思い至った。ぼくはなぜ大家さんが受験のことを知っているのか首をかしげながらも彼女の厚意に感謝して、その弁当をかばんに入れた。(蛇足ながら——昼になって包みを広げたとき、深刻な問題に気がついた。箸を忘れたのである。世間的な知識や生きる力に乏しいぼくは、この弁当を今ここで食べる手段をついに思いつくことができなかった。交通費以外の余分な現金は持っていないから何かを買いに出ることもできず、激しい空腹をかかえたまま試験を終えたのを覚えている。)
不思議はさらに続いた。その後、合格通知が届いた日か、その翌日だったか。試験結果のことなどアパートの誰とも話したことはないにもかかわらず、再び大家さんに呼び止められ、「おめでとう」といって包装紙に包まれた箱を渡された。またも不意を突かれたぼくはうろたえて、「ああどうも…」というようなあいまいな応答をしたように思う。そのときの大家さんは、前回のようにすぐにぴしゃりと扉を閉めたりはせずに、たぶん「よかったわねぇ」とか「これから楽しみねぇ」とかいう賛辞の言葉をいくつもかけてくれたはずである。でもぼくは、そういう一般的な人づきあいの技術や感覚をまったく知らないから、「ええとどうもすいません」などといった頓珍漢な言葉をぶっきらぼうにつぶやくことしかできなかった。もちろん、前回の弁当の感想や謝礼を述べることなど思いつきもしなかった。ちなみに箱の中身は5足か10足くらいの靴下のセットで、在学中はもちろん、卒業してからもずいぶん長いことお世話になった。
当時のこのアパートは、「アパート」というより「長屋」といったほうが実態に近い。風呂なし。玄関もトイレも共同、玄関を入るとすぐに全入居者の下駄箱が並んでいる。その先の狭い廊下の両側に粗末な板扉を隔てて六畳一間の部屋がずらっと並ぶ。玄関の隣、大家さんの部屋の前にピンク電話が一台。外から電話がかかってくると大家さんが出て、大声で「誰々さ~ん電話ですよ」と呼ぶ。名前を呼ばれた住人は廊下に出て行って受話器を取る。電話をかける人は10円玉をたくさん持って、話し終わるまで一定の間隔で10円玉を投入し続ける。郵便物は玄関に全入居者分がまとめてどさっと置かれ、大家さんが仕分けをして各人の下駄箱に放り込む。貧困層向けのこうしたシステムのアパートはこのあたり一帯ではごく普通のものだ。上下左右の部屋の会話や物音は筒抜け、断熱も全く期待できない。いま思えば、こういうプライバシーのない環境だから、大家さんはぼくが受験の申込みや手続きで郵便や電話を利用するのを見聞きして、それで受験のことを知ったのかもしれない。それにしても、人並みに挨拶もできない小僧が毎日深夜に出て行って朝帰ってくる姿は大家さんにどう映っていたのだろう。受験生のくせになぜ夜中に出歩くのか、親兄弟はどうしたのか、どこから来たのか、などなど問いただしたい不審な点がたくさんあっただろうに、ぼくには立ち入った質問はただの一度もしてこなかった。
バイト先でぼくをかわいがってくれた先輩のNさんとともに、ひとに感謝したいと初めて思った、そして感謝の念を伝えられなかった、忘れられないひとりである。

たぬきポスト

 20211219

オーダー作品のたぬき型ポストがなんとなくできてきました。

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
紫外線ニモマケナイ丈夫ナカラダヲモチ
欲ハナク
一日ニ幾枚カノ葉書ト少シノ封書ヲタベ
ミンナニ狸トヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ナッテホシイナー

あとは細部や裏側をちょっとやります。
塗料は屋外耐久性に定評のあるオスモカラーを使ってます。
 

 

 

トーテムポール材料到着

 20211110

自分史上2回目のトーテムポール制作のご依頼があり、その方から材料の木材が届きました。
直径30センチ。それはそれは立派な杉の床柱で、しかも節が一個もない。これからこれに手を付けるのかと思うと身分不相応な気がしてかなりびびりますが、同時にわくわくもしております。
その前に、別の方からのご依頼の、たぬき型郵便ポストを作りまーす。
 

 20211103

衆院選の結果が出ました。これだけの愚劣さと失政を満天下に晒したあとの選挙にもかかわらず政権がびくともしなかったのは驚くべきことです。
投票率とその国民の主観的幸福度(幸福と感じる度合い)とは強い相関があるそうですよ。
我が国の投票率は世界139位。
幸福度は先進国最低レベル。
報道の自由度67位。
なのにジャーナリストが「自分は権力の監視役を果たしている」と信じている度合いは世界一(おととしのデータです、いまは知りません)。
今回の衆院選をみていると、かの連中は政権交代が二度と起きないシステムをすっかり完成させたと思わざるを得ません。政治に関心を持たせず権力者におとなしく従わせる教育、利権構造に組み込まれたメディア、広告代理店的情報工作ノウハウの確立。そのたいろいろ。その中に「善政を敷く」というのを含めてくれていいのですがそれはないようで。
もう一度国土を焼け野原にしなければ政治は変えられないのでしょうか。

 



もうすぐ衆院選

 20121027

もうすぐ衆院選ですが、マスコミは相変わらず伝書鳩か九官鳥みたいに「誰それがこう言ってます」、そして競馬新聞みたいに「誰々がリード」「どこそこが何議席をうかがう」とかの予想ばかり。
アメリカの大統領選のときはトランプのやってきたことをあんなに熱心に検証して紹介してくれた我が国のメディアでしたが、自国のこととなるとなぜか政権がいままでやってきたことの総括や検証を意地でもやりたくないようです。権力者らがついた嘘、破った約束、達成できなかった目標、答えなかった質問、犯した不正、隠蔽した情報などなど、いくらでも報道することはあるでしょうに。あ、もちろん、政権がしてくれた善行も紹介してくれていいのですよ、もしあれば、ですが。
アベスガ政権の最大の功績(?)は、政治がなんのためにあるのかわからなくしたことだと思います。市民の幸せのためにあるのか、忠犬に甘い汁を分配するためにあるのか、もうぼくにはわかりません。まるで、権力を勝ち取った勝者がそのご褒美に好き勝手なことをする権利のことを「政治」と呼んでいるかのようです。
アメリカはトランプの狂気の4年間を抜け出して多少は正気に戻りつつあるようですが、日本は「悪夢の自公政権」がもう9年も続いています。強者が弱者をむしる自由だけを「自由」と呼ぶ、弱肉強食の世界がはやく終わってほしい、と祈りながら、きのう、期日前投票をしました。

 


「三日月の森」2021 キャンバスに油彩

小松嘉門さんとの二人展「MESSAGE FROM FOREST」開催します

 20210916
信州富士見町とバリ島を拠点に木版画を制作している小松嘉門さんと、ギャラリー麓人舎に棲みつく吉野剛広との二人展を開催します。
どちらも制作テーマが「森」でありながら作風はまったく対照的なふたりの7年ぶりの競演。
どんな空間になるのか、お楽しみに。

9/18(土)ー10/17(日)11:00ー17:00
土・日・月・火曜日オープン、水・木・金曜日はお休みです
ギャラリー麓人舎にて




脱炭素

 20210810

「首相が原稿を間違えずに読みました」ということがニュースになるような心細い国もあるようですが、それでも温暖化問題は待ったなしの大問題なのはかわりがなく、ほんとうに頭が痛いことです。
「脱炭素」政策でどうしても納得がいかないのは、温暖化の防止という本来の目的が見失われ、その手段に過ぎないはずのCO2排出削減が目的にすり替わっているようにみえることです。
ソーラー発電はたしかに火力発電に比べたらCO2排出は少ないかもしれませんが、せっかくCO2を吸収してくれる樹木を根こそぎにしてそれを建てるのでは本末転倒です。また、原発は海水を直接温めなければ成立しないシステムなので、いくらCO2を排出しないといっても、結果的には海洋の温暖化がもれなくついてきます。
そして目的のためにいちばん確実な方法であるところの「節電しましょう」という呼びかけがまったく聞こえてこない。それは節電はカネにならないからでしょう。(節電技術を開発して売る商売を除いては)。これは、当局が本当は温暖化なんかどうでもよくて、「脱炭素」という耳ざわりのよい呼びかけを利用してどうやってカネと利権を生み出すかしか考えていないことの証左にしかみえません。
不勉強ゆえにぼくの見え方が間違っているだけならいいのですが、コロナ対策をみてもいまの政府に科学的思考力がまったくないのは明らかなので、なんとも悩ましいところです。
なんでもかんでもカネカネカネ。いま、食糧、水、エネルギーなどはほとんどの人にとってはカネと引き換えにしか手にできないものになってしまいました。その中で、奇跡的に酸素だけはいまだに誰でも自由に吸ったり吐いたりできる貴重な資源です。でもそれもやがて、人工光合成なんかが開発されてしまったら、その技術を独占する連中が「もう森なんか必要ないよね」と森を焼き尽くして、彼らにお金を払わないと呼吸もできない世の中になるかもしれません。

「空飛ぶいきものたち(一部とばないのもあり)」展

 20210731

キッチンハートランドにて、「空飛ぶいきものたち(一部とばないのもあり)」展はじまりまーす。 お近くの方はぜひ足をお運びください。




もうひとつの森2021 開催

 20210612

個展のお知らせですです
自宅の作業場を改装した「ギャラリー麓人舎」にて
6月12日から29日までの土・日・月・火曜日、11:00から16:00
うちにある古い作品から現在制作中の新作までのうち、どれをどのように出そうかなと思案中です。
思えば長いこと絵描きとしてやってこれたのもみなさんのおかげですので、なんとか喜んでいただける展示をしようとがんばっております。ぜひ足をお運びください。