20210731
キッチンハートランドにて、「空飛ぶいきものたち(一部とばないのもあり)」展はじまりまーす。 お近くの方はぜひ足をお運びください。
20210612
個展のお知らせですです
自宅の作業場を改装した「ギャラリー麓人舎」にて
6月12日から29日までの土・日・月・火曜日、11:00から16:00
うちにある古い作品から現在制作中の新作までのうち、どれをどのように出そうかなと思案中です。
思えば長いこと絵描きとしてやってこれたのもみなさんのおかげですので、なんとか喜んでいただける展示をしようとがんばっております。ぜひ足をお運びください。
20210529
草枕社という出版社から、ぼくの作品を載せたポストカードブックが出版されることになりました。6月15発行。
本のかたちですが1枚ずつ切り離して絵はがきとしても使えるものです。タイトルは「FOREST ZOO 森のいきものたち」。
草枕社は富士見町の小さな出版社です。商売最優先ではなく、芸術家が作品を作るように本をつくります。今回も、本当にいいと思える本をつくるために作品選定から印刷まで時間をかけてじっくりと考えてくださいました。ありがとう!
以下は出版に寄せてぼくが書いた紹介文です。
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「深い深い森を歩いて考えた。 もし人間が、自然の造形に負けない美を創造できるとしたら、それは技術や計算を凝らすことによってではなく、その計算の網の目から漏れ出た「何か」によって、なのだろう。本当の美は、人間の計算の少し外側にある。修練によって計算がそれに追いついたと思ったら、逃げ水のようにそのまた少し向こうで手を振っている。とかく芸術はままならぬ。」
この文は、2007年にぼくが八ヶ岳に移住して間もなくのころに書いたものです。以来、かつてこの地に栄えた縄文文化にあこがれを抱きながら、一貫して森をテーマに制作してきました。森は、微生物のような小さなものから、光や風のような大きなものまでの森羅万象が複雑に関係しあって成り立っている巨大な構造体です。人間の浅はかな知恵では、この「森」という営みのすべてを知り尽くすことはできません。けれども、森の途方もない複雑さの中に分けいってその声に耳を傾けることは、自分は何者か、生きるとは何かといった問いに対して大きな示唆を与えてくれます。
本書では、このように森から着想を得て制作してきた作品の中から、親しみやすいちょっとユーモラスな生きもののイラストや彫刻作品をセレクトしました。
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引用ここまで。
詳細やご購入は草枕社のウェブサイト
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http://www.kusamakurasha.com/
またはぼくに直接お申し込みください。ぼくの個展会場などにも置きまーす。
20200521
ギャラリー麓人舎のプレオープン企画「みちくさ市」開催中です。
もともと、整理して出てきたたくさんの物品を処分したいという親類や知人のために開いているガレージセールです。儲けることよりも「なくなってくれること」が第一なので、無料とか10円とか、破格の値段のものもたくさんあります。まだまだいいもの残っていますのでぜひ足をお運びください。
「大泉にリサイクルショップができたんだって〜」といううわさも流れているようですが、今後はリサイクルショップではなく作品展やイベントなどの貸しスペースとして、また自分自身の本業であるアートの個展会場としてこの空間を活用していく予定です。これからもどうぞよろしくお願いいたします。
20200430
我が家を改装した「ギャラリー麓人舎(ろくじんしゃ)」のオープン企画第一弾、明日からです。
わけあってアートではなくガレージセールですが、ペンションの整理品や考古学の先生の蔵書など、ほんとうにいいものからがらくたまで、あきれるくらいいろいろなものがあります。
ぜひ見にきて、あきれてください。
詳しくはチラシ画像参照。
20210331
かつてフィリピンパブだった、広さだけが取り柄の空き家に住み着いて5年。
そこの大広間を作業場にして制作してきましたが、そこをギャラリーにする計画をこっそりとすすめております。
ステージを撤去し、壁を塗り替え、床のカーペットを剥がしモルタルを塗り、やっとギャラリーらしくなってきました。ほぼひとりでやっているのでゆっくりですが、ゴールデンウィークにはオープンできそうです。
20210223
NHKで高校生のためのビジネスマナーをやっていて腰を抜かしました。二度とこない思春期の胸にビジネスマナーなど植え付けるくらいなら、河原に寝転んで雲を眺めていたほうがよほど深い思索にふけることができ、有意義な青春になるでしょうに。
おそらくいま我々が目の当たりにしているのは、生きにくい世であればあるほど、現状のシステムにいかに適応するかという関心が大きくなり、システムそのものが間違っているのではないかと疑う力が衰えてゆき、そして生きにくい世にさらに拍車がかかるという悪循環です。
今日の支配者層はもちろんそれを望んでいるわけで、彼らにとっては好循環なのでしょう。が、寄生虫が宿主の生き血を吸いすぎておのずから滅ぶような愚かな所業は長くは続かないとは思わないのでしょうか、それともそれを知りつつ「我が亡き後に洪水よ来たれ」なのでしょうか。
日本の寄生虫の親玉、もとい経団連の会長が、「日本の賃金水準がいつの間にかOECDの中で相当下位になっている」などと抜かしたようですが、こんな「殴り続けていたらいつの間にか死んでました」みたいなふざけたことを言われても日本のいまの若者は憤るすべを知らないのだとしたら、ほんとうに深刻なことだと思います。
画像は「鷽(うそ)夫婦」 木彫
20210213
動物にかかわる仕事を長くしてきて、ずっと「人間と動物を分かつ根本的な違いはなにか」を考えてきましたが、いまは、答えはないという気がしています。たとえば、「答えのない問いを問い続ける力は人間だけが持っている」などといえば気のきいた答えにみえるかもしれませんが、それは、象が「長い鼻は象だけが持っている」というのと何が違うのでしょう。それぞれ生きものには固有の特徴がある、というだけのこと。
だから、絶滅するまでは人間も動物として泣いたり笑ったり殺したりしてせいぜい悪あがきして生きていけばいいではないか、というくらいに思うことがあります。ときどきですけれど。
鹿 2021 acrylic on paper
20201121
とうとうぼくにまで「美術(やスポーツや音楽)に政治を持ち込むな」と言ってくださる方が現れて、ようやく一人前の絵描きになれた気がしております。
「持ち込むな」派の市民のみなさんへ、持ち込みまくってる立場からお返事さしあげるとしたら、
「何を持ち込むか持ち込まないかはわたしが決めます。黙れと命令される義理はありません。」に尽きます。
ですが、余計なことと承知でさらに付け加えるなら、
「今日あなたが誰かの口を塞ごうとすることが、明日あなたが誰かから口を塞がれることにつながるかもしれませんよ」と申し上げたい。
権力が市民の口を塞ぎたがる動機ならまだ想像できますが、市民が隣の市民の口を塞ごうとする愚かさは、声をあげる自由を獲得する歴史の中で先人がどれだけの血を流したか学んだことがある人ならわかるはずです。
現政権の存続を許すなら、肉屋と豚への二極化が今後も加速することは避けられません。その中で、お利口な上級豚が「どこそこに政治を持ち込むな」といってわれわれお行儀の悪い下級豚をすすんで叩いてくれるのだとしたら、この国の肉屋は楽ちんで笑いが止まらないことでしょう。
われわれ下級豚が切り捨てられたら今度は上級豚の下半分が新しい下級豚になるだけなのになあ。
20201107
犬のうんち禁止看板の制作依頼があり、選べる着せ替えうんち3点セットつきという豪華版を作りました。が、「うんちはいらない」とのことで、路頭に迷ううんち3兄弟。その運命は…? 続く(かな)