吉野剛広のお絵かき手帖
20241202
いま日本語で「遊び」と呼ばれているもののほとんどは実際は「遊ばされ」であって、本来DNAが欲している「遊び」とは次元が異なるようです。「このように遊ばせてやろう」とする管理者の目をかいくぐる試みこそが「遊び」の本質だからです。管理者の思惑どおりに「正しく遊ぶ」ような、ゲームとか習い事とかで日が暮れるのは、個人の成熟の妨げとしか思われません。部活をさぼって河原でぼーっと雲を眺める時間のほうがよほど有意義だとぼくは思います。わしゃー、これからもぼーっと生きてやるぞー。